秋田の素敵な紅茶のお店
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秋田三日目。昨日は同期の秋田在住のティーインストラクターのHさんに、
一期先輩のティーインストラクターの方が経営している紅茶やティーグッズを扱う
ステキなお店に案内して頂きました。
おしゃれにセンスよくディスプレイされた店内は,たくさんの商品が並べられていました。
〈写真は、目に止まったユニークなティーコージィーです。〉
その後は秋田千秋公園内にあるレストランでランチ。
イギリス風住宅のアンティークショップに寄った後、夕方からはHさんと二人、
秋田の温泉付きホテルに泊まり、ゆっくりさせていただきました。
温泉三昧の毎日!本当にリラックスできました。
# by karibu-chai | 2006-08-03 09:20 | Comments(2)
秋田のアンティーク
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秋田二日目。東北三大まつりの一つで、250年以上の歴史をもち、
国の重要無形民俗文化財の「秋田竿燈まつり」が3日から始まるので、
町はそのカラー一色になっています。そんな華やいだ雰囲気の中、
秋田市内にある、秋田市指定文化財の「旧金子家住宅」を見学に行きました。
江戸時代後期に、質屋、古着商を開き、
明治初期に呉服・太物《ふともの・・綿や麻の織物》の卸を創業しました。
まさに、秋田のアンティークです!〈写真は、昭和初期の店の様子です。〉
# by karibu-chai | 2006-08-02 00:20 | インターバル | Comments(0)
なまはげの館
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一ヵ月ほど前に、盛岡から秋田に引っ越した娘のところにやってきました。
秋田も梅雨明けしたように大変よく晴れて暑い!でも風はさわやか。
娘の生活ぶりを見た後、彼女の運転で、男鹿半島の、
「なまはげ館」に連れて行ってもらいました。
その後実際の旧家で、なまはげが訪ねて来て、怠け者をどんどん音をたて、
捜し回るさまを目の前で体験しました。
きびしい冬に活を入れて、しっかり生きていこうとする、
雪国秋田の伝統的な国の重要無形民俗文化財なのです。
とても迫力があり、恐かった!!
# by karibu-chai | 2006-07-31 23:41 | インターバル | Comments(3)
どうなっているの?アギネスの頭の中・・・
学生寮に入っている学生達は、よく勉強し、身の回りのことも、食事以外は、
洗濯・掃除など・・本当にマメに働くので、自分も見習わなくては・・とよく思いました。

この頃、大学側に抗議し,学生達が授業をボイコットする事件が起きたのですが、
その時も各hall(寮)ごとに、熱心に集会を開いたり、学生達自ら、
大学内の仕事をhelpする義務があると言って、キッチンや
キャンパス内の清掃など、皆、積極的に行動していました。
日本の学生運動の時を思い出し、ノンポリと云われるたぐいの学生は、
ここダルエスサラーム大学には、ほとんどいないことに、驚きました。

そんな折、私が忘れられない一人の学生アギネスの部屋に呼ばれました。
彼女は妊娠していて、(大学では、政府機関や企業から派遣されたり、
学校の先生の仕事をしながら、勉強している学生も結構いました)、
町で買ってきた可愛い生地を見せてくれました。
そして、その生地を広げ、「うm~ん・・・・」と、しばらく考えていたかと思ったら、
ハサミでジョキジョキ、型紙も置かず、どんどん切っていきました・・・
私は、目が点になって、口もあーんぐり!えっ!・・・大丈夫?
次の日アギネスは、ジョキジョキ切った生地で縫い上げた、少しミニ丈の、
襟がポイントのステキにデザインされた、しかも体にぴったりの服を着て、
私の前に現われたのです。
どうなっているの?アギネスの頭の中・・・!いくら数学専攻とは言え、
これにはびっくり、たまげました。
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# by karibu-chai | 2006-07-31 01:08 | 東アフリカ | Comments(0)
お国変われど・・・
タンザニアのダルエスサラームに着いてから早10日余り。
大学のキャンパスでの生活も大分慣れて、毎日楽しく過ごしていました。

学生達のほとんどはタンザニア・ケニア・ウガンダの東アフリカ3国から、
次いで他のアフリカ諸国・ヨーロッパ・アジアからも・・・でも日本人はいなかった!
(少し前に東京大学の学生が来ていた・・と誰か言ってましたね~)

大学は町からバスで30~40分位の高台にあって、広~~いキャンパス内には
学生寮(男女分かれている)や教授や先生達のフラット(住宅)・食事やお茶をする
カフェテリア・郵便局・文房具や本を売るブックショップ・小さな生活必需品を売る
店など・・・全て揃っていて、一つの町のようになっていましたが、
そこはタンザニア全体から見れば、別世界といっても過言ではない程、
設備的にも充実していました。

私は、Kaduma先生のofficeに行って、個人授業していただいたり、
図書館へ行って調べ物やそこで自習したり、たまにはバスに乗って町へ出たり、
大阪の某商社の駐在のお宅にお邪魔したり・・・夜はキャンパス内で
パーティーがあったり・・・
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一番楽しかったのは、女子寮(Hall 3)の女の子達と色々おしゃべりすること。
私のルームメートはニメートという名のインド系のタンザニア人でしたので、
(ダルエスサラ-ムの商店や私的な事業主はほとんどインド人であることが
多いのですが)ニメートの仲良しもよく集まって勉強したり、お茶したり・・
ボーイフレンドの話をしたり・・・
お国変われど、好きなことは皆同じだな~と思いながら、よくその輪に入れて
もらい、時の経つのも忘れて楽しくおしゃべりしたものでした。
# by karibu-chai | 2006-07-30 01:00 | 東アフリカ | Comments(3)
サバサバ・7月7日
タンザニアでビッグなナショナルデイ・「サバサバ」。サバはスワヒリ語で『7』の意。
サバサバの祭典のある、7月1日~7日までは、タンザニアのいたるところで
お祭り騒ぎが起こるのですが、この期間はキャンパス内も学生の数がまばら・・・
私は、女子寮(Hall 3)の一部屋に入ることが出来ましたが、ルームメートは
休暇を利用して帰省しているらしく留守でした。ルームメートはどんな人かな??

一方、万博以来一年ぶりに学生達やKaduma先生に再会し、すご~く嬉しかった!
彼ら達は、民族的な踊りや演奏などが見られる所へ私を積極的に連れて行って
くれましたが、予想以上の人ごみと、写真撮影や録音を嫌う国民性のため、
残念ながら、思ったような「生(ナマ)」の収穫はあまり集められませんでした。

又この期間中、ダルエスサラーム大学では「卒業式」が挙行されるので、
その頃には、休暇を過ごした学生達も続々キャンパスに戻って来ました。
国立のダルエスサラ-ム大学の総長は、タンザニアの大統領。
      (当時の大学総長は、ニエレレ大統領・・写真)
卒業生一人・一人が総長である大統領の前にひざまずき、卒業の儀式を
執り行なうのですが、すばらしい青空の下、卒業生達の凛とした表情と
卒業のための衣装が、とても印象的でした。
私は友人の計らいで、特別「Press」の許可を取得。
この貴重なチャンスをフィルムに収めることが出来ました。
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# by karibu-chai | 2006-07-28 23:58 | 東アフリカ | Comments(0)
やっと着いた~ダルエスサラーム!
出発する数日前に、乗り継ぎの予約便が突然キャンセルになったため、
パキスタンのカラチで2泊し、その後エチオピアのアディスアベバ経由でケニアの
ナイロビに。ナイロビの空港には、カラチから連絡を受けられたのでしょう・・
JALの小倉寛太郎氏(山崎豊子のベストセラー「沈まぬ太陽・アフリカ編」の
モデルになった方)が出迎えてくれました。
次のダルエスサラーム行きをリクエストして待っている間、小倉さんは
「アフリカでは待つことが仕事です。明日と言ったら、一週間後。
一週間後と言ったら、一ヵ月後・・・こんな風に思っていれば、
間違いないですから・・・」と話されました。
そして待つこと2~3時間。私の名前が呼ばれ、プロペラ機に乗るやいなや・・・
一分も経たないうちに、飛行機は動き出し、ケニアのモンバサ経由で、
やっとダルエスサラームに着きました。

「あ~やっと着いた!・・・でもここからどうやって大学いくのかな?」
不安に思っていたところに、白髪のイギリス人らしい年配の男性が、
"Miss Kyoko? I'll take you to the University. I was asked by Mr.Kaduma"
と言って私を車に乗せ、大学まで送ってくれました。
車から見えるココナッツの木々・抜けるような青い空・・・それらを眺めながら、
何ともいえない安堵感と共に、これから始まるここでの生活に大きな期待が
膨らんでいました。
(写真は洗濯物を地(芝だったかな?)に広げて干す女子大生・・・それくらい空気が
きれいなのですが、最初見たときはびっくりしました。)
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# by karibu-chai | 2006-07-27 23:11 | 東アフリカ | Comments(2)
サポートしてくださった人々
父の反対で、一度は諦めたタンザニア行きでしたが、
やはり大学4年のこの時期を逃したら、中々行くチャンスがないだろう・・・
と思い直し、再度行く決心を固め、準備を続けました。

親として心配だったのに、父の説得に協力してくれた母。
正規の60%で使える取材用の航空券を使わせてくれたバイト先の12チャンネル。
ダルエスサラーム駐在の商社マン一家を紹介してくださった、
大阪の某商社の支社長さん。
そして、文通を通して色々情報を提供してくれたダルエスサラーム大学の学生達。
その他色々な方々のサポートのお蔭で、何とかいけるメドがたちました。

そして、遂にダルエスサラーム大学・演劇学科のKaduma先生より、
「出来るだけ面倒を見ますので、大学へKaribu!(Welcome!)」と手紙が届いたのです。

タンザニアのナショナルデイの一つ7月1日~7日の「サバサバ」
(スワヒリ語でサバは7の意)では、当時100以上ある部族の踊りを
数多く見られるいいチャンス・・・ということで、6月29日に出発することにしました。

出発当日、反対していた父も羽田まで(35年前は国際線も羽田でした)
見送りにきてくれて、出発ゲートに入る私をぎゅーっと抱きしめてくれました。
父は私の乗った飛行機が雲の中に消えるまで、ずーっと見ていたと、
後で母が話してくれました。

飛行機が飛び立った後私は、やっと行けるんだ!という嬉しさと、しばらく日本を、
そして家族と別れる寂しさと・・・複雑な心境に涙がボロボロこぼれたのを覚えています。
(写真は、サバサバグラウンドで踊るタンザニアの人々)
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# by karibu-chai | 2006-07-26 23:45 | 東アフリカ | Comments(0)
一度は諦めました
「タンザニアに行こう!」と決心しましたが、一つの難関がありました。
それは父が、私のタンザニア行きに、断固として反対したことでした。
今のようにインターネットがある訳でなく、国際電話もダイヤル一つで
かかる時代ではありませんでしたし・・・とに角「アフリカ」というだけでとてつもなく遠く、
暗黒大陸なるイメージで、もう父は頭から受け付けませんでした。
父の機嫌のいい時を見計らって、あの手この手で話しても、家中の雰囲気は
暗~くなり、二言目には「籍を抜いて行け!」と言われる始末。

そんな状況の中でも私は、卒論を除いた単位を3年で全て取り、
授業の後は夕方まで12チャンネルで、その後は夜11時過ぎまで
ケーキ屋さんでバイトし、留学資金をひたすら稼ぎながら、
タンザニア行きを目指しておりました。
常に自分で作った小さなおにぎりやサンドウイッチを持ち歩き(外食は一切せず)
喉が渇いてもジュースなど買わず、水で我慢しながら・・・
それでも目的がある毎日はとても充実していました。

しかし、父の許可は一向に出ませんでした。それで年が明けた1971年2月ごろ
ついにタンザニア行きを諦め、友人と神戸に旅行に行ってしまったのです。
・・・・それに、在日タンザニア大使を通してお願いしてある、ダルエスサラーム大学
への入学許可なる返事も、中々届く気配がなく、自分としても仕方ないかな・・・と
思い始めていました。
(写真は、大学キャンパス内にあるキャフェテリア。学生達はここで一日3回食事をする。
最初は香辛料など慣れなかったが、直ぐに慣れて太ってしまった。
特に写真にも写っている「ポポ」という大きなパパイアが、とても美味しかった!)
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# by karibu-chai | 2006-07-25 22:31 | 東アフリカ | Comments(2)
タンザニアに行こう!
1970年・大阪万博・お祭り広場での「アフリカまつり」は数日間続きました。
タンザニアグループは、ダルエスサラーム大学の学生達の他、盲目のドラマーや
竹馬に乗って踊る民族舞踊のグループなども、個性的なパフォーマンスを
繰り広げました。彼らの演じる強烈なリズムの音楽や踊りは、私にとって
それまで経験したのとのない、魂に響くインパクトのあるものだったのです。
その時の感動は今でも鮮明に覚えています。

「アフリカまつり」の期間中は、彼らと万博会場を見て回ったり、
大阪千里の宿泊施設で、同じ演劇学科ということで、色々話したり・・・
素朴で人なつっこい国民性に、大変魅力を感じました。

「アフリカまつり」が終わった後も、しばらくアフリカ酔いが収まりませんでした。
その時大学3年だった私は、卒論のことを考える時期に来ていたので、
「そうだ!アフリカ・タンザニアの民族音楽や舞踊を卒論にしよう!」と決めました。

そして数日後、世田谷区上用賀にあるタンザニア大使館を訪れ、
大使に、「タンザニアの民族芸能を勉強するため、ダルエスサラーム大学に
行きたいのだけれど・・・」とお願いに行ったのです。

それから約1年間、タンザニアに行くための涙ぐましい(?)努力が始まりました。

(写真は、ダルエスサラーム大学キャンパス内/のっぽの彼はケニアのマサイ族出身・
腹切り・三島由紀夫のことなど、質問されました)
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# by karibu-chai | 2006-07-24 15:49 | 東アフリカ | Comments(0)