その後・・・
35年前のタンザニアでの生活を、この年になってブログに綴るとは、
思ってもみない展開でしたが、今までの自分の人生の原点をかえりみるようで
懐かしく、又いい機会であったな~と思いました。
                 ・・・・  その後  ・・・・・
大学を卒業してから数ヶ月後、在日タンザニア大使館に秘書として勤め出し、
1973年に今の夫と結婚しました。
新婚旅行は、当時ゴールデンルートだった、ケニア・ウガンダ・タンザニア3国を
陸路で回る4~5泊のサファリ。そして、タンザニアのダルエスサラームにも
数日滞在し、再びダルエスサラーム大学を、今度は夫と一緒に訪ね、
Kaduma先生やHall 3のマネージャー・ムスケニヤのママにも再会しました。

その後一男一女に恵まれ、幸せに・人並みに・色々あり・・
今から10年ほど前のある日・・・・
在日タンザニア大使館で一緒に秘書をしていて、それ以来家族ぐるみでず~っと
お付き合いさせていただいている、Sさん宅を訪問した時、
Sさんのお知り合いのFさんを紹介されたのです。
「Fさんは日本紅茶協会のティーインストラクターをしていらっしゃるのよ!」・・・と。
この時初めて私は、ティーインストラクターなるモノを知ったのですが、
その時は「ふ~ぅん・・・ティ-インストラクターって何?」ぐらいの認識でした。

その数年後には、私もこの資格取得のために、大学受験以来の猛(?)勉強をし、
何とか資格を取ることができ・・・ティーセミナーなどの活動をしながら、
毎年訪ねるイギリスですっかり紅茶周りのアンティークに魅せられ・・・
遂に、"Karibu Chai イギリスのティーウエアーとオリジナルティーの店"の
くだりにまで、発展してきてしまったのです。

これで、「紅茶」と「アンティーク」と「東アフリカ」の繋がりがお分かり頂けたかと
思います。
さて、これからは、色々な方々にお力をいただきながらショップオープンまでを
綴っていきたいと思います。
(写真は、新婚旅行で夫と再度訪れたダルエスサラーム大学にて)
c0079828_23582951.jpg

# by karibu-chai | 2006-08-25 00:02 | Comments(2)
キャンパスでのティータイム
日本に帰ってから、要領よく卒論をまとめるために、ダルエスサラーム大学での
滞在を、当初の予定より一ヶ月半ほど延したので、9月~10月にかけては
ラストスパートをかけて、猛(?)勉強していました。
その頃、それまでの疲れが出たのか、ジンマシンが毎日出たり、調子が今一でしたが、
そんな時は気分転換に、広~いキャンパスの中でも、教授やスタッフがよく利用する
有料のカフェテリアの方に足をのばし、ゆっくりティータイムを楽しみました。

タンザニアは、有名な「キリマンジャロコーヒー」の産地でありますが、紅茶も
農産物として栽培されており、オリジルメイドの飲み物を、
その日の気分で、コーヒー(カハワ)か紅茶(チャイ)を、ミルク(マジワ)入りで
よくいただいたものでした。
タンザニアの人は、ミルクも砂糖も た~っぷり入れるのが好きなので、
私は早めに、「ミルクは少なめに・・・(マジワ キドーゴ)」と言うのが、
口癖になっていました。私が片言のスワヒリ語を使うたびに、お茶を淹れてくれる
お兄さん達は、必ず、ケッ・ケッ・ケッ・・・・っと、ま白い歯を見せて笑うのです!

抜けるような青い空の下、ブーゲンビリアが咲き乱れる特別のカフェテリアでいただく
お茶は、本当に格別でした。このままずーっとここにいられたらいいな~と
よく思ったものでした。

小高い丘に広がるこのDar es Salaam(アラビア語で平和な港)大学での
中身の濃~い約4ヶ月間の生活は、まるでTVのウルルン滞在記のように、
最後は友人達との、涙・涙の別れとなりました。

その後、ケニア・スペイン・イタリアを回り、イギリス・ロンドンには10日ほど滞在して
11月半ば、北極回りアンカレッジ経由で無事日本に帰国したのです。
(写真は、ダルエスサラーム大学から町の方角~インド洋を望む)
c0079828_050183.jpg

# by karibu-chai | 2006-08-23 01:09 | 東アフリカ | Comments(0)
何と云ったらよいのか・・・
1971年6月末に日本を発ってから早三ヶ月が経とうとしていました。三ヶ月間のビザも
そろそろ切れるので、延長申請をしなければ・・と思っている頃でしたが・・・
その頃私は、個人的にKaduma先生に、ゴゴ族の音楽を中心とした講義を受けたり、
その資料を訳したり、キャンパス内のプールで泳いだり、バトミントンをしたり、
時々町に友人と出たり、友人の実家に招かれたり・・・結構毎日忙しくしていました。

そんな折、忘れもしない9月24日、その日は図書館には行かず、珍しく部屋で
勉強をしていたのですが、突然 Kaduma先生が一通のメッセージを届けに
私の部屋まで来てくださったのです。  そのメッセージは・・・
「不幸にも Kyokoが 盗難に遭ったので、大学での宿泊費等の経費一切を
大学側で引き受ける」という内容のものでした。
私はもう何と言ったらよいか言葉を失うほど、感激してしまい、ただ・ただ、
"Thank you so much! ASANTE SANA(スワヒリ語でありがとう)"としか
言えませんでした。きっとKaduma先生が、Dean of Student(大学の学部長)
にかけ合ってくださったのでしょう・・・近いうちにお礼に行く約束をしました。

私が一年間、タンザニアに来るために色々努力していたことは、kaduma先生は
よくご存知でしたが、それにしてもこのような待遇をしていただけるとは・・・思っても
みないことでしたので、ありがたいやら、申し訳ないやら・・・本当に胸がつまりました。

この時から、いつかこのご恩は何かの形でお返ししなければ・・・と思ったのです。
(写真は、 kaduma先生が届けてくださったDean of Student からのメッセージ)
c0079828_23482321.jpg

# by karibu-chai | 2006-08-20 23:55 | 東アフリカ | Comments(0)
サファリに出かけました
ドドマに行っている間に、日本から私宛に手紙が随分届いていました。
今から35年前に、娘を一人アフリカに出すのは、親として本当に心配だったと思います。
私も親の気持ちを察して、当時は2日と空けずに、よく手紙を書きました。
母もよく私に手紙を書いてくれました。
その他、友人やバイト先の12チャンネル≪今のTV東京≫の報道の方々・友人の
お母さんなど・・色々な方からお手紙いただきました。
家では私の無事を祈って、毎日陰膳をしていたそうです。
親になった今は、その気持ちは痛いほどよくわかり、色々な人々のお蔭で、
無事に有意義に、過ごせたのだと思います。

さて、ドドマから戻り、Kaduma先生に色々報告し、思うように取材できなかったことを
説明すると、以前先生が研究のためゴゴ族の音楽を録音したテープなど、ダビングさせて
いただけることになり、又写真も焼き増ししてくださると言ってくださいました。
先ずは、目的の勉強のメドが見えてきたので、大阪の某商社の方と、
ダルエスサラームで活動している協力隊の方と一緒に、以前約束していた
サファリに、出かけることにしました。

タンザニアにはいくつかのナショナルパークがありますが、この時はダルエスサラームに
近い、規模的には小さいMIKUMI(ミクミ)ナショナルパークに行きました。
この時期は乾季でオフシーズンだったため、結構空いていましたが、
ライオン・ゼブラ・カバ・キリン・イノシシ・象など多くの野生動物を見ることが出来、
生まれて初めての経験でとても楽しかったです!
c0079828_0542951.jpg

# by karibu-chai | 2006-08-19 01:00 | 東アフリカ | Comments(0)
ドドマをあとに・・・
「一年目はその土地に慣れ、二年目はその土地の人とコミュニケーションが
とれるようになり、3年目にようやく教えたことが理解してもらえ始める・・・」
日本から派遣されている、任期3年の海外協力隊の方々が、
よくおっしゃっている言葉です。
タンザニアに来て、わずか2ヶ月足らずで、又ドドマに来て1週間ぐらいで、
一体何が出来るのでしょう?2~3年腰を据えていなければ無理なんだ!と
正直思いましたね。

しかし滞在期間が短くても、色々な方のお蔭で、様ざまな経験をさせていただきました。
ゴゴ族の村・村を訪ね、子供達と一緒に数時間を共にしたのも、楽しい思い出です。
(写真はその時のもの)
タンザニアの中でも、音楽的に優れた文化を持つゴゴ族は、特殊な家族的、血縁関係を
ベースに、「牛」と農耕を中心に生活していましたが、厳しい自然条件の中、
明るく、たくましく生きている様(さま)を目の当たりにし、自分がいかに文明の中で
暮らしている人間であるかという、原点のようなものをとても感じました。
乾季には、川には水がなく、それでも川であるはずの所に座り込んで、
一生懸命ビブユ(ひょうたんの容器)で乾いた砂を掘り、じわ~っとにじみ出てくる水を
少しずつすくっていた少女の姿が、今でも私の脳裏に鮮明に残っています。

10日足らずのドドマをあとに、帰りは猛スピードのバスでダルエスサラームに戻りました。
汽車は16時間かかりましたが、バスは休憩も入れて8時間で帰りました。
それも満席でシートが買えなかったのですが、乗客が「乗せてやれ~!」と車掌に言って
くれて、予定通りに帰ることが出来たのです。
      ASANTE SANA!(アサンテ・サナ・・スワヒリ語でありがとう!の意)
c0079828_136643.jpg

# by karibu-chai | 2006-08-16 01:46 | 東アフリカ | Comments(2)
DODOMA(ドドマ)・・・その3
pikipiki(ピキピキ・スワヒリ語でバイクやスクーターの類)に乗せてもらって、
ゴゴ族のダンスや音楽を求めて、毎日のように出かけていました。
『文化担当官』なる方に面接し、ゴゴ族の村々で、ダンスが見られるようお願いし、
OKかな・・・?と思って行ってみると、そんな話は聞いていないと・・・云われ、ガックリ!
そんなことがある度に、「アフリカは待つのが仕事です」とおっしゃっていた、
ナイロビJALの小倉さんの言葉を、いつも思い出していました。

それでも、偶然「女子の割礼の儀式」のダンスに出くわしたり、協力隊員の方が
「男子の割礼の儀式」の情報を聞きつけ、連れて行ってくださったり・・・
又週末、Tさん一家が、Ngoma(ンゴマ・・ドラムをたたく)やダンスをしてくれるよう
交渉上手な長老(ムゼエ)を一人頼んでくれて、Tさんの2人のお子さんや
協力隊も含め、総勢8人乗せて、ダットサン1600sssは走った・走った・・・
よくNgomaやダンスをしてくれそうな部落を一つ・一つ訪ね、交渉してくれましたが、
週末ということで、ポンべ(酒)を飲んで酔っ払ってしまったり、
他の仕事で人が出払っていたり・・・中々思うようにはいきませんでした。

又、ムゼエがここで止めて!と車を止めるのですが、周りを見ても家も人も
見あたらない・・・と思っていると何処からともなく、人が大勢集まってくるのです。
これにはいつもびっくりさせられました。
私はいつでも取材できるように、カセットテープの録音機・カメラを持っていましたが、
中々その出番がなかったのは残念でした・・・でも皆さんのお蔭で、ゴゴ族の
生活ぶりは、しっかり見ることが出来ました。
(写真は、あっという間に私達の周りに大勢の人が集まってきた部落にて。
35年前の私は、今より8~9kg位太っていました。若かったな~!)
c0079828_082946.jpg

# by karibu-chai | 2006-08-13 00:31 | 東アフリカ | Comments(2)
DODOMA(ドドマ)・・・その2
ドドマ一帯は、「降雨少量」という気候で、特に一年を通して乾燥している日が多く、
水汲みがゴゴ族の女性達の、最も大切な仕事の一つになっていました。
「ビブユ」という名のひょうたんの一種で作った容器を頭に乗せ、日に何回となく
水汲みに行く光景は、よく目にしました。

そのドドマ一帯の「水資源開発」の専門家として現地入りしているTさんのお宅の
一室に、私は泊めさせていただけることになりました。
又ドドマで、農作物の指導に当たる青年海外協力隊員の2人にも、時間が許す限り、
pikipiki(ピキピキ・・・オートバイクの類)の後ろに乗せてもらって、遠い村々を訪ね、
ダンスを見せてくれるよう交渉してもらったり・・・
本当に色々な方々にお世話になったのです。
 
ダルエスサラームとは全く違った乾燥した気候は、農作物を作るにも、先ず・水確保が
必要となり、Tさんご一家はそのために、日本政府から派遣されていました。
Tさんには、小さなお子さんが2人いらっしゃったので、よくクッキーを作ってあげました。
青年海外協力隊の方々には、お礼によくランチや夕食を作って差し上げました。
初めて冷凍の鹿の肉を使って、カレールーからのカレーを頼まれて作りましたが、
鹿の肉は独特の臭いで・・・参りました。

肝心なゴゴ族の音楽やダンスの収穫は、この方々フォローのお蔭で
何とか進めることが出来たのです・・・
    (写真は、「ビブユ」や缶を頭に乗せて水くみをする、ゴゴ族の女性達)
c0079828_014456.jpg

# by karibu-chai | 2006-08-12 00:43 | 東アフリカ | Comments(0)
DODOMA(ドドマ)へ
タンザニアには当時100以上の部族があり、その中でも、中央タンザニアのドドマを
中心とする地域に住むGOGO(ゴゴ)族は、優れた音楽的文化を持つ部族として
高い評価を得ていました。Kaduma先生は私に、是非ドドマに行くよう勧めて
くださいました。

ダルエスサラームでも、すでに何人かの日本青年海外協力隊の方々と
知り合いになっていましたので、彼等たちに、ドドマの協力隊員や専門家の方々を
紹介していただき、汽車のチケットを予約したり・・・それなりの準備をして、
8月3日にダルエスサラームを出発しました。

汽車は2等以上は、コンパートメントになっていて、3等はザコネ状態。
私は2等で、現地のタンザニア人と一緒でした。汽車は、チャイや食事のオーダーを
取りに来るなど・・・中々サービスいいなぁ~!と思っていたら・・・
車内アナウンスもないし、駅に着いても「○○駅~」と教えてくれないのです。
それに停車時間が長~い!1時間ぐらい停車していた駅も・・・
ですからいつ着くのかわからず、聞いたところで、ポレポレ(ゆっくり・のんびり)で
有名なタンザニアの汽車ですから、当てにならず・・・ほとんど夜中も寝ずに、
乗り過ごすことのないよう起きていました。

そして、夜も明けきらない早朝6時前、ダルエスサラームを出てから16時間かけて
やっと汽車はドドマに到着しました。
乾燥してひんやりとした朝もやの中に、赤い衣を体に巻きつけ、長い棒を手にした
背の高いゴゴ族の男達の姿が、異様なムードで私に迫ってきました。
             (写真は、ドドマへ乗って行った汽車)
c0079828_054255.jpg

# by karibu-chai | 2006-08-10 00:59 | 東アフリカ | Comments(0)
事件!
学生寮の1Fには、各グループに分かれたメールBOXがあり、皆、各部屋に
戻る前には必ず、手紙がきていないかチェックしていました。私は結構日本から
手紙がよく届いていたので、皆から"Lucky Girl !"と言われて、羨ましがられました。

その日も、メールをチェックし、公衆電話で電話をかけてから3Fの部屋に戻りました。
しばらくして、さっきブックショップで買ったノートを公衆電話のところに忘れてきたことに
気付き、ルームメートが留守でしたが、ほんの少しの間なので、鍵をしないで1Fまで
取りに行きました。階段を下りる時、男子学生らしい人とすれ違い、
"Hello !"といったのは覚えています。大学のキャンパスはとても広く、
誰でも出入り自由でしたし、ボーイフレンドなどもよく来ていましたから、
別段不審には思いませんでした。
ノートを取ってきて部屋に戻り、レシートを出そうと財布を見たら、

お金がない!どこを捜しても1200シリングと51$が無い!
(当時タンザニア1シリングは50円・US$約300円。取られた金額全部で約¥75.000)

私はもう頭がパニックになり、急いでHall3の寮長・Mrs.ムスケニヤのところに行き、
説明しようとするのですが、興奮していて中々英語でうまくしゃべれない・・・
ムスケニヤのママも「Kyoko 落ち着いて!」と何回も言って、とりあえず警察に連絡
してくれました。そして2人のポリスと一緒に警察へ・・・う~んと待たされて事情聴取。
その後・・・車で大学へ帰るかと思ったら、突然下りて草むらの影に隠れて・・・
「何してるの?」と私が尋ねたら、「犯人は空港に逃げるに違いない。この道は
空港に通じているから、ここで待ち伏せしよう・・・」犯人の顔も知らないのに・・・
あ~もうだめだ~!と思いましたね。

次の朝、Hall 3の掲示板には「Kyoko のお金を持っている人がいたら、決して
とがめないから、直ぐ戻してほしい」という張り紙が・・・その横には、
「Kyoko にヘルプしよう!」というものまで・・・事件を知ったHall 3の友人達が
元はといえば、私の不注意なのに・・・私のために、こんな事まで・・
申し訳ないのと有難いのとで、字が涙でかすんでいくのを覚えています。
(写真は、Hall 3の掲示板のある場所)
c0079828_0534162.jpg

# by karibu-chai | 2006-08-08 00:53 | 東アフリカ | Comments(0)
Tanzania National Dance Troup
秋田旅行で中断しましたが、ダルエスサラーム大学での続きを再開しましょう・・・

サバサバで思ったほど収穫のなかった私は、何とか資料を集めるべく、
大学の演劇学科(Department of Theater Arts)のKaduma先生に
相談しました。すると先生は、ナショナルスタジアムで毎日練習している、
タンザニア・ナショナル・ダンス・トゥループ(Tanzania National Dance Troup)
の練習風景を見学することを勧めてくださり、私が見学できるようるよう
手配してくださいました。

このグループは、タンザニア政府が質の高い民族文化を保護しようとして、
タンザニア各地から、優れた音楽的才能を持つ若い男女を選び、
全部で約20名程で構成されているものでした。
彼らは日曜日を除く毎日朝7時から午後2時まで、ヴィンセント・ムヤ氏の指導の下で、
練習を積んでいました。私も朝7時に着くように、大学を暗いうちに抜け出し、
数日間彼らの練習風景を見学させてもらいました。

手作りの楽器を担当するのは、10名ほどの男子。女子は7~8名で、
主に歌を受け持っていましたが、ダンスは男女とも行いました。
彼ら達は私のために、色々な演奏・踊りを見せてくれましたが、
政府機関の団体なので、写真撮影や録音にも特別な許可が必要で、
ここでも思うように、撮影は出来ませんでしたが、汗びっしょりになりながら
Ngoma(ンゴマ・・スワヒリ語で太鼓をたたくという意)を見せてくれた
彼らには、本当に有難かったし、感動しました。
(写真は、ナショナルスタジアム屋内で、ドラムの皮を火であぶりながら、
音の調子(チューニング)を見る、ダンストゥループのメンバー達。右の壁に
立てかけてあるのは、ひょうたんの共鳴体が付いた、Wazaramo族のマリンバ)
c0079828_18362949.jpg

# by karibu-chai | 2006-08-05 18:50 | 東アフリカ | Comments(0)