イギリスのティーウエアーとオリジナルティーの店:東アフリカ
2021-11-27T16:47:22+09:00
karibu-chai
東アフリカを中心としたティーと紅茶周りのアンティーク
Excite Blog
Tanzania独立60周年イベント#JICA横浜センター
http://karibuchai.exblog.jp/32390448/
2021-11-26T23:16:00+09:00
2021-11-27T16:47:22+09:00
2021-11-26T23:16:07+09:00
karibu-chai
東アフリカ
Tanzaniaタンザニア独立60周年イベント
(在日タンザニア大使館より依頼を受けてのお知らせです)
JICA横浜とアフリカとのYou tube
私も12月4日(土)に伺う予定です
アフリカのタムタムの音楽や‥
タンザニアの文化に触れるいいチャンスです!
美味しい「キリマンジャロコーヒー」等…
タンザニアの物産品の販売もあるようですよ!
皆様も是非 足を運んでご覧ください…
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2021年のノーベル文学賞とオレンジクローブティー
http://karibuchai.exblog.jp/32338644/
2021-10-13T23:27:00+09:00
2021-10-13T23:57:06+09:00
2021-10-13T23:27:57+09:00
karibu-chai
東アフリカ
↑webからお借りしました
2021年…35年ぶりにアフリカ出身のノーベル文学賞に選ばれた小説家アブドゥルラザク・グルナ氏(Abdulrazak Gurnah)73歳
グルナ氏は…「植民地主義の影響と文化と、大陸間の湾岸地域の難民の運命を非妥協的に交感的に浸透」させた功労でノーベル文学賞を受賞したのです
何だかとても難しそうな内容ですが‥和訳の著書は未だ無いとのことです
グルナ氏は、1948年生れ(私より1つ上だわ)タンザニアのザンジバルで生まれ…現在英国で活躍しているのですが‥
ザンジバルといえば… 香辛料/クローブ-・丁字の産地として有名です
オレンジにクローブを刺して紅茶に浮かべる…クリスマスティーとして私もよくセミナーの時にお出しする「オレンジクローブティー」
そして…タンザニアといえば 1971年・7月~3ヶ月間タンザニアのダルエスサラーム大学に留学していた時現在の首都・ドドマに民族ダンスや音楽の取材でゴゴ族の村に行ったこともありました
今回のタンザニア・ザンジバル出身のグルナ氏のノーベル文学賞受賞は私にとって…もう50年も前の記憶が再び蘇る出来事となりました!
"Karibu Chai"・カリブチャイ…スワヒリ語で「お茶をどうぞ」をセカンドネームのようにつけさせていただいているのもそういう理由からです!
カリブ・Karibuは…カリブ海のカリブではありません!よく間違えられるので…念のため!
私とタンザニアとの関り~留学時のこと等は…ブログの最初の方に綴っておりますので興味のある方はご覧ください
★ ★ ★おまけ
只今‥シュウメイギク・秋明菊がたくさん咲いています
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タンザニアの石鹸
http://karibuchai.exblog.jp/27086642/
2017-08-27T08:36:00+09:00
2017-08-27T16:48:21+09:00
2017-08-27T08:36:43+09:00
karibu-chai
東アフリカ
画像はネットからお借りしましたが…
皆様、この木は何だかお分かりでしょうか?
バオバブ(英名:Baobab、学名:Adansonia)の木です
サバンナ地帯に多く分布する。幹は徳利のような形をしており、高さは約30メートル、直径は約10メートルに及ぶ。年輪が無いため樹齢を知ることは難しいが、数千年に達すると言われる。中は空洞になることが多い。葉は幹の上部につき、寒気に落葉する。花は白色で大きい。果実はヘチマのように垂れ下がり、堅い。果肉は食用・調味料とされ、ビタミンCはオレンジより多く、カルシウは牛乳より多いと言われる。さらに種子からは油が採集できる。サン・テグジュペリの『星の王子様』では、放置する星を破壊する有害な巨木として描かれており、見つけ次第抜かれてしまうことになっているが、実際には上記のとおりアフリカ諸国では食用などさまざまに活用され、親しまれている。浜名湖花博において日本では初めて屋外で開花した。(ウッキペディアより抜粋)
★
久しぶりに東アフリカの話題です…
カリブチャイでは東アフリカの紅茶を販売していますが
その関係で大変お世話になっているK氏より
「nusu na nusu」というネーミングの
このバウバブのオイルが入ったタンザニア製の石鹸をいただきました
(nusu na nusu…はスワヒリ語で「半分と半分」の意)
私自身も、1971年から数か月
タンザニアの”ダル・エス・サラーム大学”に留学していた時は
このバウバブの木はよく見ました!
この写真は、ゴゴ族の取材のためドドマに行った時のものですが…
ダル・エス・サラーム大学の記事は
ブログの最初の方にありますので、ご興味がおありでしたらご覧ください
「ドドマ」はタンザニアの法律上の首都ですが、ダル・エス・サラームは事実上の首都機能を持つ
経済的にも商都としての州都デアル
★この石鹸、調べてみたら日本でも通販で購入できそうです★
成分は
Baubab Oil・Coconut Oil・Honey ・Sodium htdroxide・Aqua
(バウバブオイル・ココナッツオイル・蜂蜜・苛性ソーダ・水)
★ ★ ★
植物由来の・オーガニック材料で作られていて
アンチエイジングや美容に効果があるようです
よく泡立ち・人工的な香りもなくて…中なか良い感じでした!
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TANZANIA の「カンガ」
http://karibuchai.exblog.jp/11146701/
2009-03-21T02:38:00+09:00
2009-03-21T07:46:43+09:00
2009-03-21T02:38:17+09:00
karibu-chai
東アフリカ
私は こんなスタイルでした
160cm×115cm ほどの 木綿の布
東アフリカの タンザニアやケニアで
女性が腰に巻いたり ターバンのように頭に巻いたり…
時にはおんぶ紐のように 赤ちゃんを包んで肩から掛けたり
生活に密着した…
そんなカラフルなプリントの民族的な布を
「カンガ」 と云います
1961年にイギリスから独立してから
10周年記念に作られた「カンガ」のようです…
タンザニアの国旗とともに
タンザニア独立の時の3大目標:「農耕」・「教育」・「医療」を表すデザインが…
そして裾にはNGOMA(ドラム)と
タンザニアのシンボル「トーチ」UHURUの火が描かれています
「ウフルの灯」は自由と光明を象徴しています。
絶望に対して希望を、敵意に対して愛を、憎悪に対して敬意をもたらすために、
タンザニアだけでなくその国境を越えたところも照らすようにと
初めてキリマンジャロ山(5,895メートル)の頂上にともされたのは、1961年です。
国内各所からスタートする「ウフルの灯」レースがあります。
(タンザニア大使館HP説明文より)
このカンガは私がタンザニア大使館に勤めていた時に(もう37年ぐらい前?)
当時カンガを扱っていた方から求めたものです
2ピースを使って 昔母がエプロンに縫ってくれました
それを引っ張り出してきたのです
子育て時に よく使っていたものですが
こんなセミナーの時に 再度役立つとは…
夢にも思っていませんでした
「はい・タンザニア大使館でございます~」
ポチャ・ポチャしてました…
はい!結婚したばかりの頃だったと思います~♪
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TANZANIAN ART
http://karibuchai.exblog.jp/11093502/
2009-03-13T23:22:00+09:00
2009-03-14T00:33:23+09:00
2009-03-14T00:24:01+09:00
karibu-chai
東アフリカ
我が家の歴史が飾ってある リビングの出窓には
タンザニアのアートである 「マコンデ」が 写真とともに並べられています
マコンデ彫刻は タンザニアを代表するArtです
この彫刻は 「黒檀」の木の芯を使って 彫っていきます
こちらが「黒檀」の木です
黒い部分はとても硬く … こうやってくり抜き 「灰皿」として昔は売っていました
何せ1972年に現地で買って来たものですから・・・
表面の部分は 大分傷んできています
さすが芯の黒い部分は 何ともないですね~
調べてみたら 日本にもこのマコンデ彫刻を集めたミュージアムがあるのですね!
今週は 「アフリカの紅茶で茶葉遊び~♪」
というタイトルで ティーセミナーをしています
少しでも 東アフリカの紅茶に親しんでいただこうと・・・
ちょっと 楽しいセミナーにしてみました
その際に タンザニアでの色々な体験をお話していますが
こんなタンザニアの美術品等もご覧いただいています
美術品ではないですが・・・
こちらは「ディックディック」と云う動物の角を利用したペンダントヘッド~
やはり30年以上も前に求めたものですが
今では 「ワシントン条約」にひっかかるでしょうね・・・?
肝心の アフリカの紅茶も 盛りだくさんですよ…!
(セミナーの模様は 土曜日以降にアップしますね・・・明日は土曜日クラスのセミナーですから)
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kikkake ・・・ 切っ掛け ・・・
http://karibuchai.exblog.jp/11036110/
2009-03-06T11:02:00+09:00
2009-03-07T00:15:39+09:00
2009-03-06T11:02:24+09:00
karibu-chai
東アフリカ
「物事を始める手がかり」「糸口」と出ています
大なり小なり 生活の中・人生の中で
この「きっかけ」が 大きな因を占めていることって以外に多いのでは・・・?
このペーパーナプキンに出会ったのが 来週のティ-セミナーの「きっかけ」でした
以前から
東アフリカを中心にした「アフリカのティーセミナー」をやりたい!
・・・という気持ちだけは 強く持っていました
前回の渡英で 出会ったこの「ペーパーナプキン」を見た瞬間
これを使って『やろう!』 という気持ちが固まりました(ちょっと大袈裟!)
来週に向けて 色々頭の中は めぐっています~
初めて タンザニアの人と出会った時のこと・・
そして初めて その地を訪れた時のこと…
マサイ族の首飾り・・や
kanga(カンガ)という女性がまとうアフリカンの布・
そして ライオンの爪 やライオンの歯のペンダントヘッド…等など
ご覧いただきながら・・・
楽しいティーセミナーにしていきたいと思っています~
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ケニア紅茶・コーヒーシンポジウム
http://karibuchai.exblog.jp/8956184/
2008-05-31T02:49:00+09:00
2008-05-31T02:50:26+09:00
2008-05-31T02:49:43+09:00
karibu-chai
東アフリカ
アフリカ開発会議
(TICAD:Tokyo International Conference on African Development)
4回目となる今年は横浜で開催され 様ざまな関連イベントが繰り広げられて・・・
5月の横浜は 『アフリカ月間』としてアフリカ一色に塗りつぶされた感じです
その一環として 一昨日
「ケニア紅茶・コーヒーシンポジウム」に参加してきました
始まる前 ロビーでは 「日本紅茶協会」による
ケニアティーで淹れた「アイスミルクティー」のサービスや・・
ケニアコーヒーや産物のマカデミアンナッツの紹介が・・・
そして 「ケニア大統領・ムワイ・キバキ閣下」の開会の辞で始まりました
今回は ケニアの重要な産業である「紅茶やコーヒー」を日本にもっと普及させるべく
ケニア政府は大臣クラスの要員を送りだし かなりの力の入れようが感じられました
「食」の安全を重視する日本に対して 「農薬を使わない安全なケニア紅茶」を
また ポリフェノールなど成分的にも優れた「ケニア紅茶」を・・・
様ざまな観点から アッピールしておりました
そして 途中には楽しい「歌と踊り」が・・・
観客の皆さんも 手拍子で 大喜び!!
この日 「MOTTAINAI」キャンペーン名誉会長・ノーベル平和賞受賞者の
「ワンガリ・マータイ博士」の講演も予定していましたが・・・
福田首相との会談が長引き・・・との理由でお見えになりませんでした
残念!!
シンポジウムは 「ケニアコーヒー」の説明が続き・・・
時計は開会から既に4時間も経っていました
閉会前に会場を出て・・・こちらに移動・・・
アフリカ大陸より41カ国が参加
自慢の産品や観光・投資情報の紹介をしていました
タンザニアのブースものぞいて見ました・・・
ちょっと スタッフもお疲れ気味?
ケニアもそうですが・・・タンザニアも「グリンティー」を生産するのですね・・・
久しぶりに触れた「アフリカ」の息吹き~
1971年に初めて訪れたアフリカ「タンザニア」から何年が経ったのでしょう・・?
今こうして「カリブチャイ」(スワヒリ語で「お茶をどうぞ!」)を通し
少しでも多くの皆様に 東アフリカの紅茶をご紹介したいという思いが・・・
又新たに強く感じられた・・一日でした
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キャンパスでのティータイム
http://karibuchai.exblog.jp/4393253/
2006-08-23T01:09:00+09:00
2006-08-23T08:14:10+09:00
2006-08-23T01:09:08+09:00
karibu-chai
東アフリカ
滞在を、当初の予定より一ヶ月半ほど延したので、9月~10月にかけては
ラストスパートをかけて、猛(?)勉強していました。
その頃、それまでの疲れが出たのか、ジンマシンが毎日出たり、調子が今一でしたが、
そんな時は気分転換に、広~いキャンパスの中でも、教授やスタッフがよく利用する
有料のカフェテリアの方に足をのばし、ゆっくりティータイムを楽しみました。
タンザニアは、有名な「キリマンジャロコーヒー」の産地でありますが、紅茶も
農産物として栽培されており、オリジルメイドの飲み物を、
その日の気分で、コーヒー(カハワ)か紅茶(チャイ)を、ミルク(マジワ)入りで
よくいただいたものでした。
タンザニアの人は、ミルクも砂糖も た~っぷり入れるのが好きなので、
私は早めに、「ミルクは少なめに・・・(マジワ キドーゴ)」と言うのが、
口癖になっていました。私が片言のスワヒリ語を使うたびに、お茶を淹れてくれる
お兄さん達は、必ず、ケッ・ケッ・ケッ・・・・っと、ま白い歯を見せて笑うのです!
抜けるような青い空の下、ブーゲンビリアが咲き乱れる特別のカフェテリアでいただく
お茶は、本当に格別でした。このままずーっとここにいられたらいいな~と
よく思ったものでした。
小高い丘に広がるこのDar es Salaam(アラビア語で平和な港)大学での
中身の濃~い約4ヶ月間の生活は、まるでTVのウルルン滞在記のように、
最後は友人達との、涙・涙の別れとなりました。
その後、ケニア・スペイン・イタリアを回り、イギリス・ロンドンには10日ほど滞在して
11月半ば、北極回りアンカレッジ経由で無事日本に帰国したのです。
(写真は、ダルエスサラーム大学から町の方角~インド洋を望む)
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何と云ったらよいのか・・・
http://karibuchai.exblog.jp/4376429/
2006-08-20T23:55:00+09:00
2006-08-21T00:10:13+09:00
2006-08-20T23:55:05+09:00
karibu-chai
東アフリカ
そろそろ切れるので、延長申請をしなければ・・と思っている頃でしたが・・・
その頃私は、個人的にKaduma先生に、ゴゴ族の音楽を中心とした講義を受けたり、
その資料を訳したり、キャンパス内のプールで泳いだり、バトミントンをしたり、
時々町に友人と出たり、友人の実家に招かれたり・・・結構毎日忙しくしていました。
そんな折、忘れもしない9月24日、その日は図書館には行かず、珍しく部屋で
勉強をしていたのですが、突然 Kaduma先生が一通のメッセージを届けに
私の部屋まで来てくださったのです。 そのメッセージは・・・
「不幸にも Kyokoが 盗難に遭ったので、大学での宿泊費等の経費一切を
大学側で引き受ける」という内容のものでした。
私はもう何と言ったらよいか言葉を失うほど、感激してしまい、ただ・ただ、
"Thank you so much! ASANTE SANA(スワヒリ語でありがとう)"としか
言えませんでした。きっとKaduma先生が、Dean of Student(大学の学部長)
にかけ合ってくださったのでしょう・・・近いうちにお礼に行く約束をしました。
私が一年間、タンザニアに来るために色々努力していたことは、kaduma先生は
よくご存知でしたが、それにしてもこのような待遇をしていただけるとは・・・思っても
みないことでしたので、ありがたいやら、申し訳ないやら・・・本当に胸がつまりました。
この時から、いつかこのご恩は何かの形でお返ししなければ・・・と思ったのです。
(写真は、 kaduma先生が届けてくださったDean of Student からのメッセージ)
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サファリに出かけました
http://karibuchai.exblog.jp/4361690/
2006-08-19T01:00:00+09:00
2006-08-19T01:04:14+09:00
2006-08-19T01:00:13+09:00
karibu-chai
東アフリカ
今から35年前に、娘を一人アフリカに出すのは、親として本当に心配だったと思います。
私も親の気持ちを察して、当時は2日と空けずに、よく手紙を書きました。
母もよく私に手紙を書いてくれました。
その他、友人やバイト先の12チャンネル≪今のTV東京≫の報道の方々・友人の
お母さんなど・・色々な方からお手紙いただきました。
家では私の無事を祈って、毎日陰膳をしていたそうです。
親になった今は、その気持ちは痛いほどよくわかり、色々な人々のお蔭で、
無事に有意義に、過ごせたのだと思います。
さて、ドドマから戻り、Kaduma先生に色々報告し、思うように取材できなかったことを
説明すると、以前先生が研究のためゴゴ族の音楽を録音したテープなど、ダビングさせて
いただけることになり、又写真も焼き増ししてくださると言ってくださいました。
先ずは、目的の勉強のメドが見えてきたので、大阪の某商社の方と、
ダルエスサラームで活動している協力隊の方と一緒に、以前約束していた
サファリに、出かけることにしました。
タンザニアにはいくつかのナショナルパークがありますが、この時はダルエスサラームに
近い、規模的には小さいMIKUMI(ミクミ)ナショナルパークに行きました。
この時期は乾季でオフシーズンだったため、結構空いていましたが、
ライオン・ゼブラ・カバ・キリン・イノシシ・象など多くの野生動物を見ることが出来、
生まれて初めての経験でとても楽しかったです!
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ドドマをあとに・・・
http://karibuchai.exblog.jp/4340028/
2006-08-16T01:46:50+09:00
2006-08-16T01:41:26+09:00
2006-08-16T01:41:26+09:00
karibu-chai
東アフリカ
とれるようになり、3年目にようやく教えたことが理解してもらえ始める・・・」
日本から派遣されている、任期3年の海外協力隊の方々が、
よくおっしゃっている言葉です。
タンザニアに来て、わずか2ヶ月足らずで、又ドドマに来て1週間ぐらいで、
一体何が出来るのでしょう?2~3年腰を据えていなければ無理なんだ!と
正直思いましたね。
しかし滞在期間が短くても、色々な方のお蔭で、様ざまな経験をさせていただきました。
ゴゴ族の村・村を訪ね、子供達と一緒に数時間を共にしたのも、楽しい思い出です。
(写真はその時のもの)
タンザニアの中でも、音楽的に優れた文化を持つゴゴ族は、特殊な家族的、血縁関係を
ベースに、「牛」と農耕を中心に生活していましたが、厳しい自然条件の中、
明るく、たくましく生きている様(さま)を目の当たりにし、自分がいかに文明の中で
暮らしている人間であるかという、原点のようなものをとても感じました。
乾季には、川には水がなく、それでも川であるはずの所に座り込んで、
一生懸命ビブユ(ひょうたんの容器)で乾いた砂を掘り、じわ~っとにじみ出てくる水を
少しずつすくっていた少女の姿が、今でも私の脳裏に鮮明に残っています。
10日足らずのドドマをあとに、帰りは猛スピードのバスでダルエスサラームに戻りました。
汽車は16時間かかりましたが、バスは休憩も入れて8時間で帰りました。
それも満席でシートが買えなかったのですが、乗客が「乗せてやれ~!」と車掌に言って
くれて、予定通りに帰ることが出来たのです。
ASANTE SANA!(アサンテ・サナ・・スワヒリ語でありがとう!の意)
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DODOMA(ドドマ)・・・その3
http://karibuchai.exblog.jp/4320313/
2006-08-13T00:31:00+09:00
2006-08-13T00:40:08+09:00
2006-08-13T00:31:21+09:00
karibu-chai
東アフリカ
ゴゴ族のダンスや音楽を求めて、毎日のように出かけていました。
『文化担当官』なる方に面接し、ゴゴ族の村々で、ダンスが見られるようお願いし、
OKかな・・・?と思って行ってみると、そんな話は聞いていないと・・・云われ、ガックリ!
そんなことがある度に、「アフリカは待つのが仕事です」とおっしゃっていた、
ナイロビJALの小倉さんの言葉を、いつも思い出していました。
それでも、偶然「女子の割礼の儀式」のダンスに出くわしたり、協力隊員の方が
「男子の割礼の儀式」の情報を聞きつけ、連れて行ってくださったり・・・
又週末、Tさん一家が、Ngoma(ンゴマ・・ドラムをたたく)やダンスをしてくれるよう
交渉上手な長老(ムゼエ)を一人頼んでくれて、Tさんの2人のお子さんや
協力隊も含め、総勢8人乗せて、ダットサン1600sssは走った・走った・・・
よくNgomaやダンスをしてくれそうな部落を一つ・一つ訪ね、交渉してくれましたが、
週末ということで、ポンべ(酒)を飲んで酔っ払ってしまったり、
他の仕事で人が出払っていたり・・・中々思うようにはいきませんでした。
又、ムゼエがここで止めて!と車を止めるのですが、周りを見ても家も人も
見あたらない・・・と思っていると何処からともなく、人が大勢集まってくるのです。
これにはいつもびっくりさせられました。
私はいつでも取材できるように、カセットテープの録音機・カメラを持っていましたが、
中々その出番がなかったのは残念でした・・・でも皆さんのお蔭で、ゴゴ族の
生活ぶりは、しっかり見ることが出来ました。
(写真は、あっという間に私達の周りに大勢の人が集まってきた部落にて。
35年前の私は、今より8~9kg位太っていました。若かったな~!)
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DODOMA(ドドマ)・・・その2
http://karibuchai.exblog.jp/4314258/
2006-08-12T00:43:30+09:00
2006-08-12T00:43:30+09:00
2006-08-12T00:43:30+09:00
karibu-chai
東アフリカ
水汲みがゴゴ族の女性達の、最も大切な仕事の一つになっていました。
「ビブユ」という名のひょうたんの一種で作った容器を頭に乗せ、日に何回となく
水汲みに行く光景は、よく目にしました。
そのドドマ一帯の「水資源開発」の専門家として現地入りしているTさんのお宅の
一室に、私は泊めさせていただけることになりました。
又ドドマで、農作物の指導に当たる青年海外協力隊員の2人にも、時間が許す限り、
pikipiki(ピキピキ・・・オートバイクの類)の後ろに乗せてもらって、遠い村々を訪ね、
ダンスを見せてくれるよう交渉してもらったり・・・
本当に色々な方々にお世話になったのです。
ダルエスサラームとは全く違った乾燥した気候は、農作物を作るにも、先ず・水確保が
必要となり、Tさんご一家はそのために、日本政府から派遣されていました。
Tさんには、小さなお子さんが2人いらっしゃったので、よくクッキーを作ってあげました。
青年海外協力隊の方々には、お礼によくランチや夕食を作って差し上げました。
初めて冷凍の鹿の肉を使って、カレールーからのカレーを頼まれて作りましたが、
鹿の肉は独特の臭いで・・・参りました。
肝心なゴゴ族の音楽やダンスの収穫は、この方々フォローのお蔭で
何とか進めることが出来たのです・・・
(写真は、「ビブユ」や缶を頭に乗せて水くみをする、ゴゴ族の女性達)
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DODOMA(ドドマ)へ
http://karibuchai.exblog.jp/4303464/
2006-08-10T00:59:19+09:00
2006-08-10T00:59:19+09:00
2006-08-10T00:59:19+09:00
karibu-chai
東アフリカ
中心とする地域に住むGOGO(ゴゴ)族は、優れた音楽的文化を持つ部族として
高い評価を得ていました。Kaduma先生は私に、是非ドドマに行くよう勧めて
くださいました。
ダルエスサラームでも、すでに何人かの日本青年海外協力隊の方々と
知り合いになっていましたので、彼等たちに、ドドマの協力隊員や専門家の方々を
紹介していただき、汽車のチケットを予約したり・・・それなりの準備をして、
8月3日にダルエスサラームを出発しました。
汽車は2等以上は、コンパートメントになっていて、3等はザコネ状態。
私は2等で、現地のタンザニア人と一緒でした。汽車は、チャイや食事のオーダーを
取りに来るなど・・・中々サービスいいなぁ~!と思っていたら・・・
車内アナウンスもないし、駅に着いても「○○駅~」と教えてくれないのです。
それに停車時間が長~い!1時間ぐらい停車していた駅も・・・
ですからいつ着くのかわからず、聞いたところで、ポレポレ(ゆっくり・のんびり)で
有名なタンザニアの汽車ですから、当てにならず・・・ほとんど夜中も寝ずに、
乗り過ごすことのないよう起きていました。
そして、夜も明けきらない早朝6時前、ダルエスサラームを出てから16時間かけて
やっと汽車はドドマに到着しました。
乾燥してひんやりとした朝もやの中に、赤い衣を体に巻きつけ、長い棒を手にした
背の高いゴゴ族の男達の姿が、異様なムードで私に迫ってきました。
(写真は、ドドマへ乗って行った汽車)
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事件!
http://karibuchai.exblog.jp/4293066/
2006-08-08T00:53:00+09:00
2006-08-08T09:28:14+09:00
2006-08-08T00:53:59+09:00
karibu-chai
東アフリカ
戻る前には必ず、手紙がきていないかチェックしていました。私は結構日本から
手紙がよく届いていたので、皆から"Lucky Girl !"と言われて、羨ましがられました。
その日も、メールをチェックし、公衆電話で電話をかけてから3Fの部屋に戻りました。
しばらくして、さっきブックショップで買ったノートを公衆電話のところに忘れてきたことに
気付き、ルームメートが留守でしたが、ほんの少しの間なので、鍵をしないで1Fまで
取りに行きました。階段を下りる時、男子学生らしい人とすれ違い、
"Hello !"といったのは覚えています。大学のキャンパスはとても広く、
誰でも出入り自由でしたし、ボーイフレンドなどもよく来ていましたから、
別段不審には思いませんでした。
ノートを取ってきて部屋に戻り、レシートを出そうと財布を見たら、
お金がない!どこを捜しても1200シリングと51$が無い!
(当時タンザニア1シリングは50円・US$約300円。取られた金額全部で約¥75.000)
私はもう頭がパニックになり、急いでHall3の寮長・Mrs.ムスケニヤのところに行き、
説明しようとするのですが、興奮していて中々英語でうまくしゃべれない・・・
ムスケニヤのママも「Kyoko 落ち着いて!」と何回も言って、とりあえず警察に連絡
してくれました。そして2人のポリスと一緒に警察へ・・・う~んと待たされて事情聴取。
その後・・・車で大学へ帰るかと思ったら、突然下りて草むらの影に隠れて・・・
「何してるの?」と私が尋ねたら、「犯人は空港に逃げるに違いない。この道は
空港に通じているから、ここで待ち伏せしよう・・・」犯人の顔も知らないのに・・・
あ~もうだめだ~!と思いましたね。
次の朝、Hall 3の掲示板には「Kyoko のお金を持っている人がいたら、決して
とがめないから、直ぐ戻してほしい」という張り紙が・・・その横には、
「Kyoko にヘルプしよう!」というものまで・・・事件を知ったHall 3の友人達が
元はといえば、私の不注意なのに・・・私のために、こんな事まで・・
申し訳ないのと有難いのとで、字が涙でかすんでいくのを覚えています。
(写真は、Hall 3の掲示板のある場所) ]]>
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